2012/02/06

脱・"持論" 論。

持論に振り回されるくらいなら、黙って受け入れてみるのもいいんじゃない?って話。
内容は「blogspot開始の報告」「これまでのblogでの反省点」「"とにかくやってみる"ってのが大事」という流れです。
完全に自分1人に関することですが、なんらかの形で参考になれば幸いです。



blogspot開始の報告

性懲りもなく新しいblogを立ち上げてみました。
これまでblogらしきものはmixi日記、livedoor blog、tumblr、togetter、wordpressを使ってきたのですが今回はblogspotで作ってみました。

辞めた理由をまとめると

・mixi日記はユーザーが減ったから
・livedoor blogは問題発言が多くて黒歴史になったから
・tumblrは画像や文章共有用にしたいから
・togetterは長文ツイートでTL荒らすのが申し訳ないから
・wordpressは自分のデザインセンスのなさを痛感したからw(まだ諦めてはいない)

各種WEBサービスの使い分けの話(togetter, tumbler)はまたの機会にするとして今日はblogの話。



これまでのblogでの反省点(livedoor)

livedoor blogを使っていた時期はですね、非常に視野の狭い人間だったんですよ。実利的ではなかったんです。知識と思考力を高めることに専念していて、ガンガン議論してレベルアップしていこう!みたいな感じでした。そのこと自体は悪いことではないのですが、議論・主張と一言にいっても色々な考え方があるわけですよね。

例えば「学生にきっかけを与える!」みたいな講演会の是非を考えるとしましょう。個人的にはこの手の理念があまり好きではありません。きっかけを与えるって何?きっかけを与えられた学生は具体的にどう変わるの?貴方はきっかけを与え続けているだけで、具体的な価値を生み出さないの?といったことを思ってしまうからです。今でもたまにこういうエントリーがバズったりしますよね。

でも、こういう主張って結構ナンセンスだということに気付き始めたのです。
生産性という面でも、そして本質的な議論という意味でも。

Q.その主張は何を生み出すのか?

A.一瞬のバズリと、多少のリプライ議論と、わずかなフォロワー。
決してそうした活動をしている人の理念に活かされることはない。むしろ真剣に活動している人に水を差すだけだったりする。自分が携わっていないのに外から言う場合、あまり意味がないことの方が多い。


Q.その主張は本当に正しいのか?

A.ある意味では妥当だし、ある意味では不適切。そもそも「きっかけを与える」ことの効果測定はできないから、問題設定の時点で無意味。さらに、与える「きっかけ」が具体的なものでなければならないという前提が既に一方的。何をもって行為を良いと解釈するかで結論が変わったりする。だからバズった後のTLでは互いの前提意識・定義を確認して落としどころに到達するという毎回同じパターンだったり。

つまり、この手の議論というのは、多くの場合「解釈次第で結論が変わる。そのくせ現実は何も変わらない」というパターンが多いのではないかと思ったのです。数独やチェスと同じ、ただの思考ゲームなんじゃないかと。それはそれで楽しいですが、人生はそこまで長くもないので、もう少し生産性・実利を優先してもいいんじゃないかという結論に至ったのです。



これまでのblogでの反省点(wordpress)

んで、livedoor blogでの黒歴史を乗り越えてwordpressを初めたわけです。ここではなるべく「おしゃんてぃーなデザイン」「誰かの役に立つ情報提供」を心掛けようとしていました…が、世の中そんなに甘くなかった。



wordpressでの反省点 〜デザイン〜

まず、自分自身にデザインセンスがそこまでなかった!w
これは致命的ですね。個人的にはいわゆる「デザイン厨」みたいな人がそこまで好きではないので、あんまりそういう人のもたらす情報に興味を示さなかったんですよ。「デザイン厨」っていうのは例えば、プレゼンテーションのスライドはすごく奇麗なのに中身がそこまで大したことない…みたいな感じの人です。なんとなくすごく見えるので、周囲の評判は良かったりするんです。でも中身がないので、その話を聴いても得るものはないんですよ。だからそういったデザイン偏重の情報に積極的に関与しようとしなかった。

そうなると、デザインセンスなんて身に付くわけがないんですよ。相手がどうであれ「プレゼンテーションのスライドが奇麗だ」と思ったのならば、「そのデザイン技術を盗む」ってのが最適解だと思うのです。中身がどうこうなんて、下らない持論をいくら掲げても何もプラスはないのだから、少しでも模倣できないか、デザインのポイントは何かといったことを吸収することに意識を向けないと。デザイン厨、デザイン厨ってお前はロジック厨か!と自分を批判しないと。

というわけで、どんどん積極的に良さげなデザインを見つけてチェックするようにします。TumblrやPinterestを活用しようかなと。おしゃんてぃーと評判のWEBサイトを見て回る、デザインのコツが書かれた記事を呼んでみる。その繰り返しでセンスを見につけていくしかないのかなと。



wordpressでの反省点 〜情報処理〜

そして、誰かの役に立つ情報提供っていうのも簡単じゃない!
自分ではよかれと思ってもニーズと不一致ならば意味がないし、そもそもそこまで情報発信が継続できない。考えてみれば当たり前なんですけど、どんなニュースや人気ブロガーも圧倒的に量が違うんですよね。ここでいう量というのは「自分自身が読む量」と「他人に向けて発信する量」どっちも。

例えば、ニュースやWEB記事を1000読んで、そのうち3つだけをtwitterでオススメする。これを1ヶ月続けたらどうだろうか?1ヶ月前に比べて確実に情報処理・情報提供の価値が上がると思う。少なくとも、普段から情報を「吸収して」「発信する」ということが習慣付いている人、それも圧倒的な量に基づいている人とそうでない人がblogを書くとしたら、おそらくかなり高い割合で前者の書いたエントリーのほうが良質なものになるのではないでしょうか。

そういう慣れもない状態で、あれこれと構想して自分なりに運営ルールを作るというのは少々愚かだったと思うのです。最初はなんとなくでもいいからとにかくやってみる。アクセスは自分だけでもいい。やっていくうちに「あなたのブログのここがダメ」みたいな記事にぶち当たる。意外と痛いところをつかれてたりする。そこを改善していく。そういった指摘は、考えてみれば当たり前だ!ということが多いように思えますが、じゃあ最初に想定しておけばいいかというと「想定疲れ」みたいな状態になって尻窄みになってしまう…のが少なくとも私の場合は多いです。



"とにかくやってみる"

議論、デザイン、情報処理。どれも自分勝手な持論に自分で振り回されていました。議論に関しても"対立意見の正しさを受け入れる"ことが不十分という意味で同義です。相手が明瞭な論理で根拠を示さない限り、自分から進んで相手の正しさを補助する根拠を探そうとはしなかったのです。

最初にあれこれ頭や心で判断するよりも、とりあえず手を動かしてみる。その方が案外上手く行くことって結構多いのではないでしょうか。blogを書くのって、スポーツで言ったら素振りみたいなものですよね。わざわざ素振りをするのにあれこれ考えない。もちろん1本1本を丁寧にやるべきだけれど、最初からそこまで考えてたら始まらない。やっていくうちに、自分のフォームの悪さを指摘されたり、悩んだりしてできるようになっていくわけで。

他の人との関わりについても、相手選手が好きか嫌いかなんて関係なしに良いところは盗むし悪い部分は反面教師にする。高校の部活でできていたことなんだから、そういう経験をどんどん人生に応用していかないとナンセンスですよね。



そういうわけで、googleアカウントがあれば10分で始められるblogspotを始めました。
あんまり力を入れすぎず「ゆるりと」更新していきたいと思います。
読みやすくて、エキサイティングで、実用的なエントリーが書けるようになるまでお待ちいただければと思います。

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